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置かれた場所で咲きたくない

気付いたら還暦過ぎていました。年齢に抗いながら日々前向きに

~更年期のころ④

父は何度か熱を出したり、体調を崩すこともあったが、スタッフの方々が寄り添ってくれて毎回の食事も口に合ったようで、近くの公園に連れて行ってもらったり、外食させてもらったり徐々にホームに馴染んでいきました。

母と姉と3人でホッと胸をなでおろし、偶には3人でランチに出かけたりモールで買い物したり少しだけ気持ちに余裕も出来ました。

 

相変わらず子供の部活は熱心でやれ試合だ朝練だというと早起きして弁当作りの日々でした。今から思うともう少しまともな弁当を作ってあげればよかったと後悔しています。フルタイムで働きながら子供3人育てているとか本当に立派だと思います。

私の場合やる気はあるけど体がついていかないって感じでその頃から喉の辺りに異物感があり、かかりつけ医で診てもらうと「悪い病気ではない、中年期の女性に多い『咽頭異物感症』」 と敢えてやんわりと言ってくれました。

 

更年期障害の症状の1つヒステリー球だったのですね。

全く無知でした。

 

あれもこれも気になることが多くて、それでも1か月とかの短期バイトに行っていつもの仲間と話したり、仕事帰りにお茶することは私にとって唯一のストレス解消でした。

ただ限られた時間で動かなければならないのは体力のない私にとっては合間に父の施設へ出向く事も正直負担になっていました。

休日は朝から施設へ行き段々痩せ細る父とそれほど会話する時間もなく、慌てて自宅へお昼ご飯を作りに帰っていました。

 

そして残暑もそろそろ終わるかという季節、早朝施設長さんから電話がありました。

その前日スタッフの方から「お父さんが38℃の熱で意識が朦朧としています。」と・・。

でもその後「尿路感染症だったようでもうしっかりして歩いています」ということで少しほっとしていました。

早朝の電話はそれなりに覚悟していました。

施設長「体温が30℃台前半です」

私「血圧は?」

施設長「エラーが出て測れません。救急車どうしましょうか?」

私「もうダメ・・ですよね?」

施設長「多分」

私「呼ばなくて結構です」

 

電話を切って母と姉に連絡をし、取るものも取り敢えず父の元に向かいました。