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置かれた場所で咲きたくない

気付いたら還暦過ぎていました。年齢に抗いながら日々前向きに

母の介護認定調査に立ち会う

午前中は腰の治療のため鍼治療に行く。

 

自転車を走らせ、お昼ご飯を食べゆっくりしたかったが、母の半年に一度の介護認定調査に立ち会うので車で20分程の所にある実家へ向かった。

 

2時ちょうどに介護認定調員の男性が来て簡単な質問をした。

 

どれもまともに答える母。

 

92歳にしては食事作りも入浴も買い物もほぼ一人でしているので調査員は

「これで要介護1?」と驚いていた。

 

皆ありがちな事のようだがこの時ばかりはしゃんとする人が多いようで母も片足立ちとか頑張ってやっていた。

 

午前中はデイサービスに3時間行っていたのでかなり疲れていたようだが。

 

うちの家系は皆アクティブとは程遠く、父も親戚付き合いするのがやっとだった。

内弁慶というのか家の中ではよく喋るのに大勢の輪の中ではしんどくなってしまうので外へ出ることよりも家で何かしている方が落ち着くようだ。

 

それに父は母が外で遊んでくることは気に食わなかったようで母が近所の人と出かけるようなことはほぼなかった。

 

ほんとに狭い世界で生きてきたのだなと思う。

 

そんな家庭で育ったから姉も私も社交性に欠けている。

 

そしてお互いのパートナーも似たようなものだから姪たちもうちの子供たちもボーイフレンド、ガールフレンドを家に連れてきたことがない。

 

親戚付き合いもほぼないし。

 

60過ぎてつくづく思うのはもっと子供も含めて色んな世界を見渡して色んな経験をするべきさせるべきだったなと思う。

 

失敗もそれはこれからの人生の糧になるのに小さく纏まり過ぎた。

 

子供の頃からあれするなこれするなと言われ続けてそれが嫌だったのに自分の子供にも同じように安全地帯を歩かせようとあれするなこれするなと言ってきた。

 

今にして反省。

 

今日もタレントの高見知佳さんの訃報が出ていた。まだ60歳。同じような年齢の人の訃報を聞く度これからはもっと大胆に生きたいと思う。

 

こじんまり纏まるのはもう嫌だ。

 

母のように元気だけど90過ぎて幼児を扱うような話され方や幼稚園のお遊戯みたいなデイサービスに通わなければいけないなんて私のようなピュアじゃない人間には受け入れがたい。

 

太く短く生きたいけど、家系的に長生きしそうだなぁ。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。