働かないことには家も借りれない
今日も朝から自転車で打ちっぱなしに行く。
日曜日とあってロビーでは沢山の人が待っていた。
以前なら10分も待っていると早く帰らないとお昼ご飯の支度に間に合わないとか、せかせかしていたけど、今はどれだけ待っても気にならない。
夫のいる家に帰りたくないので出来るだけ時間を潰せたらいいなと思う。
いつもは2階席だが今日は3階席にすると見晴らしがよかった。
中高年の男性が友達同士かで喋りながらああだ、こうだと練習している。
夫にはこういう友達同士の交流が丸でないから矛先がいつもこっちに向かい、お昼ご飯も家でそして家にいても何もせず家の雰囲気を暗くする。
こっちが話しても都合の悪い話には途中で部屋を出ていったりするくせにどうでもいいことを話しかけてくる。
それは自分が押し黙っているのがしんどいから半ば独り言のようなものなのだ。
家にいてまだ置物のように黙っていればいいのだが、こちらがテレビを見ていても本を読んでいても話しかけてくる。
人のことはおかまいなし。
一方的に話しかけてこられるのが嫌で堪らない。
だから耳鳴りのようなリズム音がこの家に帰ってくると聞こえてくるのだ。
一人暮らしの時は治っていたのに。
小一時間して帰る途中結構な雨に降られた。
雨でなければ車にゴルフ道具を置いてそのまま又いつものショッピングセンターに行こうと思ったが一旦帰り昼食を食べた。
そして今度は徒歩でショッピングセンターへ。
110円のコーヒーを買って読書をしたりスマホを見たり。
『もう別れてもいいですか』をもう一度読んでみた。
今の私の心情そのもの。
主人公のお母さんが連れ合いをなくしてからの方が元気で夫婦でいた時は意地悪ばあさんだったという。
女は一人になって善人になるというのも本当にそうだと思う。
勿論夫婦仲良く手を取り合える間柄なら人にも優しくなれる余裕が出来るというものだろうが。
うちの母も昨日母の弟のお嫁さんが遊びに来ていて2人写った写真をラインで送ってきたのだが、2人共満面の笑み。
この叔母さんは母より10歳ほど若いが叔父が居た頃の方が老けていたように感じる。
叔父の晩年の看病で疲れていたせいもあるだろうが、心の余裕がこんなゆったりした表情を作るものなんだなと改めて思った。
そう考えると後10年、いや5年も夫と今の生活を続けていたら私はどんな顔になるんだろう。
顔だけでなく身体の中もどうなるか分からない。
このまま不動産屋に入ってしまおうかとさえ思った。
いや、又無職だとそう簡単にはいかないだろう。
仕事にさえありつけたら何とかなると思うが、その1歩にも届いていない。
あの時から2年経っている。ただでも高齢女性が部屋を借りるのは難しいのに。
スーパーに置いてあった早朝品出しと肌着売り場の求人用紙を手に取り持ち帰った。
最後までお読みいただきありがとうございました。