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置かれた場所で咲きたくない

気付いたら還暦過ぎていました。年齢に抗いながら日々前向きに

これでいいのだろうか?

バイトを終えて街へ出て同級生とランチ。

 

中学の時の恩師の話になり、現在94歳ながら教育関係の仕事で活躍されているようだ。

 

他の学年でも同窓会に呼ばれて引っ張りだこらしい。

 

ご主人を早くに亡くされてずっと教諭っとして頑張られ、きっと若い人たちと過ごしてきてその寂しさもやりがいや生き甲斐を見つけて充実した人生だったのだろう。

 

私の記憶の片隅には宿題を忘れた生徒にもみあげを思いっきり引っ張るという荒業をやっていたことが何故か残っていて、これって今やるときっとニュースで取り上げられるほどの事じゃないのかなと思っていた。

 

その話を同級生にすると昔はそんなもんだったと。

自分も娘2人にひっぱたいたりしたと聞いて驚いた。

 

今私が虐待のニュースを聞いて悲しいのはうちの子供が反抗期と言われる中高生のころ、夫が自分の感情任せに子供に怒っていたこと。

 

汗だくになって顔をつねったり、していたことを思い出しては、いたたまれない気持ちになっていたのだが、昭和世代の親にはある事なのかなと思ったり。

 

自分が受けてきた精神的虐待も我慢出来る範囲なのかどうなのか、もっと酷い夫はいるとか、いや、後何十年も心にわだかまりを持ったまま生活するのは無理だと思ったり、ゆらゆら行ったり来たり揺れ動いている。

 

夫が居ると子供たちも寄り付かない、それが別居を考えた一番の理由だが今回お盆の帰省の時期までに慌てて物件を決めてしまってよかったのかとか、家賃はともかく、家電製品や引っ越しなどにかかる諸費用が勿体ないとか、このお金は自分が今まで節約もし、細々とでもパートで稼いだお金なのだから今使うべき有効なお金なのだと思い直したり。

 

自分でも煮え切らなくていやになる。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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