~更年期のころ③
父はアルツハイマー型認知症だったので、その後坂道を転げ落ちるように悪化していった。母と2人にしておくと暴言を吐くばかりかうまく言葉が通じないと手を挙げることもあったので、姉か私が見守りに行ったり最終的には母が病気ということにして姉の家に何日か母を泊まらせてもらったりして二人を物理的に離すことにした。
義兄は快く二人を迎え入れてくれた。
時には嫌々ながらショートステイにお世話になったりしながら、父の施設探しを始めた。今から思えばその頃がこの先どうなるんだろうと精神的にも一番しんどい時期だった。姉は義兄と相談しながらアドバイスも貰ったりしていたが、私は夫に一言も相談することは出来なかった。
父を可哀想だと思う気持ちとある施設長がいった「このままではお母さんが倒れてしまいますよ。」と言った言葉のはざまで揺れながら何軒か老人ホームを見学してまわった。中々思わしいところはなかったが、諦めかけていた時、あるグループホームが父には合うのではないかということで諸々の手続きを終え、無事父は入所することが出来た。
義兄もテレビ台を組み立てて持っていってくれたり、話を聞いてくれたりもした。
入所して落ち着いたかと思ったのも束の間、父は今度は誤嚥性肺炎で救急車で運ばれたとホームから電話があった。再び姉と交代で泊まり込み付き添いの日々。
日中だけでもとヘルパーさんを頼んだけど、父はすごい剣幕で怒ってその人を追い返してしまい断念。やはり家を空ける日も出てくるので仕方なく夫に伝えると、今度は夫は「お父さんの言うことを聞いていたら共倒れになる。ヘルパーさんにみてもらうべき。」とメールしてきた。
そんな簡単に言うことを聞いてくれるならとっくにそうしている。
往復2時間以上かけて毎日ではないとはいえ、パートしながら家事や子供の雑事もあり体も悲鳴をあげているのに好き好んでやっているとでも思っているのだろうか?
その頃はまだ夫という人はただ思いやりのない人くらいにしか思ってなかった。
ある種のパーソナリティ障害ではないかと気づいたのはずっと後になってからだった。