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置かれた場所で咲きたくない

気付いたら還暦過ぎていました。年齢に抗いながら日々前向きに

~更年期のころ⑤

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施設に着くと父は腕時計をしたまま胸の上で両手を組んでまるで寝ているようでした。

顔色は死後それほど時間も経ってなかったからか青白いと感じることもなかったです

。母と姪っ子は号泣していました。

私は何が何だかわからないようなごく当然のことの様な複雑な気持ちでした。

前回会った時に父は別人の様に顔が変わっていたし、ものすごく痩せていたからどこかでこの日の事を予知していたのかもしれません。

ただただ最後に会った時、父の大好きな鰻でも持って行って一緒に食べればよかった、その後悔ばかりが私の頭の中でぐるぐる回っていました。

 

一旦父の遺体を自宅へ連れ帰り、翌日の通夜まで目まぐるしい一日となりました。

夫は父の遺体を前に手も合わせなかった事、絶対に忘れません。

2日目の長い一日が始まりました。

葬儀を終え、実家に寄ってから自宅へ着くころには頭痛も酷くなり身体は疲れているけれど気が張っていた感じでした。

どちらかというと父がいなくなった悲しみよりも母がパニックになっていたので続いて母も認知症になるのではないかという不安の方が大きかったように思います。父がまだらボケの頃のこの先どうなるんだろうという黒い雲が垂れ込むような何とも言えない不安感でいっぱいになりました。

 

四十九日や諸々の手続きを終え、私も又パートに復帰したり日常が戻ってきました。

相変わらず季節の変わり目には体の不調があり、発熱こそしないものの風邪を引くと1週間は家族が出ている間は寝込んでいたり。

 

1,2年は子供の受験があったり、進学校に入ったものの一向に机に向かわない娘にキレていつも頭から湯気を出してる様な状態だったのでストレスもMAXだったと思います。自分の身体に向き合う余裕はなかったし、女性ホルモンなんてイコール、フェロモン系みたいな女らしい人特有のもの位の間違った認識しかなかったです。

 

50歳前後から女性ホルモンが誰でも減ってきて、もっと出せという脳からの指令ともう出ないという身体の状態とのミスマッチによってパニックを起こすなんて思ってもいませんでした。そしてそれは個人差が非常に大きいこと、ストレスも大きく影響していることは後になってなるほどと思い当たりました。