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置かれた場所で咲きたくない

気付いたら還暦過ぎていました。年齢に抗いながら日々前向きに

大雨の日、家は重苦しい空気

予報通り朝から大雨となった。

車でスーパーへ向かう。

 

今朝目覚めるとこれからの夫婦のこと、子供の将来のこと、特に娘は今一番デリケートな年頃。

パッと明るい話があればどれだけ気持ちが救われるだろう。

 

機能不全家族だから悩めることも夫婦二人力合わせて相談することも出来ない。

それを思うとやはり何事もなかったように昼食を食べようとする夫に腹が立ってきて又食ってかかってしまった。

 

自分の中できっちり決意が出来るまで言わずにおこうと思っていたが感情の波には逆らえなかった。昼はラーメンだったが、少し残していたようだ。

 

やはり同居しながらの離婚は難しいというのはこういうことかもしれない。

 

色々思いを巡らせて迷っている時期が一番しんどいのは私のいつものこと。

決意が出来ていざ進みだすと動くしかないのでいつも何とかなっているのだ。

 

昨日は12時頃寝たがトイレに起きたらまだ2時半。そこから寝れず、スマホを見たりしていた。

7時半頃起き出すが、天候のせいもあり眠くて何をする気もない。

 

母の目薬のことが気になって粉と液体を混ぜる作業出来るか一応電話すると二度寝して起きたのはさっきだという事で妙に明るい大声にもイラっときた。

 

私がいつも安否確認に9時にラインするように言い、もう何年も前から毎日守ってくれているが、

「食事済んでからでいいよ」と言ったら

私が9時にしておいでと言ったからとか半分キレられた。

 

9時にしろといったのはラインで電話ではないし、もうあなたにいちいち付き合ってられないわという感じで切った。

 

大体があんな田舎がいいと前の住居を紹介したのも母、学生時代から男友達と付き合うことも目を光らせ電話を取り次がなかったり色眼鏡で見られてきた。

 

結局そんな風に育てられ、男を見る目もなく、自分の子供にも夫婦不仲の悪影響を受けさせてしまった。

 

子供を操り人形のように動かし、普通は親の近くに住めというものなのにわざわざ遠い片田舎の土地を紹介するなんて姉も言ってたがずれている。

 

ちょっと電話しなかったら「どうしてるの?」とか煩い。

 

第一娘がモラハラを受けているのにその相手に媚びへつらうような態度が許せない。

 

私が娘に色んな人と付き合った方がいいと言うのは自分と姉が母から受けてきた制限の反動だと思う。

 

まだ独身なのだからいくらでも探せる。

 

今モラ夫から逃れられないこと、ホントにどうしようもないと切実に思っているから。

 

母とは毎日電話してたのも隔日位にしよう。

 

あまりにも家に居るのがしんどくなって夕食の下ごしらえをしてからいつものショッピングセンターに行った。

 

家電製品や携帯ショップを見たり、ミニコンサートをしていたり、ここは精神安定剤、清涼飲料水だ。

 

明日は家計の事で義兄が聞きたいことがあると言うので近くで話を聞く。

 

離婚肯定者と会うと気が楽だ。

反対者は自分の敵のようにさえ感じる。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。